平成14年度 交換研修帰朝報告

平成14年度 交換研修帰朝報告1

三重大学医学部整形外科
松峯 昭彦

 私は平成14年日仏交換留学生として、まだ肌寒さの残る4月15日から3ヶ月間、整形外科研修という貴重な体験をパリでさせていただきました。私は当初より整形外科分野としてはやや特殊な骨軟部腫瘍を中心とした勉強を希望していたので、フランスでの骨軟部腫瘍の大御所であるTomeno先生のおられるCochin病院 (コシャン病院) で滞在期間の前半の研修を開始することとなりました。コシャン病院はパリの第14区にあり、サン・ミッシェル大通りとモンパルナス大通りが交わるPort Royalというところにあります (図1)。

図1

 周囲にはたくさん病院があり、隣接したSt-Vincent de Paul病院とともに、Group hospitalを形成しています。整形外科部門が入っているPavillion OLLIER-MERLE D’AUBIGNEはそれだけで独立した建物ですが、0階 (日本で言うと1階) は救命救急で完全に独立しており、1階は手術室、2階から4階までが整形外科部門、5階が熱傷専門センターとなっていました (写真1)。

写真1

 整形外科部門は全部で約200床あり、Unitは2つに分かれており、私はTomeno先生がChiefをされているService Bで主に研修しました (ちなみに以前日仏整形外科学会会長であったCourpied先生はService Aの教授である)。このUnitはStuffが8人、Fellowが3人、Residentが4人います。それに病院に近接して医学部あり、そこから学生が常時3~4人研修に来ておりました。研修に来る学生は女性が多いので不思議に思って聞くと、最近フランスでも女子医学生が急増し、今や50%を越えているとのことでいた。コシャン病院整形外科では両方のServiceをあわせて、年間3500手術があり、そのうちの25%が外傷、股関節の人工関節が800例もあります。

 腫瘍外科を専門としているのはTomeno先生、Anract先生、Babinet先生の3人です。Tomeno先生は60歳手前ぐらいの年齢で、気さくで、元気で、実に親切な先生で、フランス滞在中、実に細かい所まで便宜をはかってくださいました。いつもBon Bon Bon (日本語で言うと、よっしゃ、よっしゃ、よっしゃ) といいながら鼻歌まじりに、患者さんとジョークをかわしながら回診されておりました。術前カンファレンスは週2回夕方5時頃から行われておりました。症例呈示は主にレジデントが行っておりましたが、みんな何も見ないでよどみなく受け答えします。みんなあきれるほど良くしゃべります。引っ込み思案のフランス人はいないようでした。みんなよく勉強していて良く理解しているようで、チュニジアからのレジデントに「ワールドカップ同じ組になったなあ」と言っても「勉強に忙しくてサッカーの事は良く知らない」と言われてしまいました。議論が理解できないとき、尋ねるといやがらず説明してくれました。わざわざ英語で (四苦八苦しながらも) プレゼンテーションしてくれる先生もいました。

 外来は週3~4回、Tomeno先生、Anract先生の診察を見学させていただきました。外来の看護婦さんが前室での患者さんの着替えを手伝うので、次々と患者さんが登場します。患者との会話は秘書が横で全部コンピューターに打っているので、医者はずっと患者さんと向き合って話ができます。日本の医師は3分間診療などと批判されていますが、こんな恵まれた環境であれば、ゆっくり丁寧に診察し説明出来ると思いました。

 朝は、前日の手術報告を学生が8時から20 分ほどで要領よく行った後。8時半ぐらいから手術が始まります (手術は毎日あります)。スタッフとフェローが術者です。私はTomeno先生、Anract先生の手術に多く入り、その手際の良さに幾度も圧倒されました。特に臼蓋部を中心に発生した巨大な骨盤の軟骨肉腫に対して、広範切除後、大腿骨近位で骨盤輪を再建し人工関節を設置するPugetという術式を見せてもらった時は、この煩雑な手術を4時間ぐらいでやってしまう力量には驚いてしまいました。しかし彼らは決して専門のみをやっているわけではありませんでした。紹介されてきた症例に対しては骨折、THA, THA revision, 脊椎、外反母趾など何でもかなりの高いレベルでやってしまいます。30 歳ぐらいのFellowでも、関節鏡から、胸椎のpedicular screw、THA revisionまできっちりとした手術を短時間でやってしまいます。

 また、周囲スタッフの手際が良いので、医者は手術のみに集中すればよいことにも驚きました。患者が入室するときには前室ですでに麻酔がかかっていて、患者が入室するなりどこからともなく大男の力持ちの黒人スタッフが登場して、あっという間にポジションを取ってしまいます。手術中も看護婦さんの手際の良さも驚くばかりです。手術が終わり、シーツを取り除いたらもう抜管されていて、5分以内に患者は運び出されて、次の5分後には送管された患者がいつ手術をしても良い体位にsetting されていました。その結果として朝からTHA revisionを二つ縦に並べてやっても、終わったら1 時ぐらいです。それから医者同士誘い合って病院内の下級医師用のレストランに昼ご飯を食べに行きます。みんな談笑しながらと前菜、パン、メイン、チーズ、デザートと続く食事を食べます。もちろん主治医も受け持ち医であるはずのレジデントも一緒に行きます。術後の全身管理は病棟でも麻酔科医がすべてやっているので問題はないとのことでした。レジデントに「夜はいったい何時ごろに帰る?」と聞いたら平均7時との返事でした。「何でそんなことを聞くのか?」と言うので「日本では研修医は点滴をしたり・・・・」と説明をしたのですが、日本のシステムは彼らには理解不能のようでした。徹底的に効率的なシステムができあがっているように思いました。最近、日本では、医療事故が問題になっていますが、その分、特に公的病院ではますます医者の雑用が増えていく傾向にあります。自分の得意分野でのみ勝負しているフランス人医師が羨ましくて仕方ありませんでした。 コシャン病院では化学療法が必要な患者は、そのほとんどを徒歩10 分ほどの場所にあるcancer centerであるInstitute Curieに送っておりました。2週間に一回はOncologist, Radiologistと合同カンファレンスを行っており、まったく対等に熱心なDiscussionがかわされておりました (写真2)。また、病理医とのDiscussionは、Tomeno先生の場合、2週間に一回近所のカフェで食事をとりながらという和やかなものでした。

写真2

 研修期間の後半はSt-Vincent de Paul病院での研修が中心となりました。St-Vincent de Paul病院には脊椎のInstrumentationで有名なDubousset先生がおられることで知られていますが (写真3)、Dubousset先生は小児骨軟部腫瘍の大家でもあられます。ところが、私がフランスに到着する少し前にSt-Vincent de Paul病院を定年退官されており、残念ながらそのメスさばきを見学することは出来ませんでした。しかし、長年続けられていたInstitut Gustave Roussy (ここの非常勤医師として小児の悪性骨・軟部腫瘍を診ておられる) での、整形外科医としての最後の外来を見せていただくことが出来ました。Dubousset先生が患者及びその家族に、自分の引退時期が来たことを告げたとたん、患者さんは涙を流しながら別れを惜しんでおりました。偉大な外科医の引退の瞬間に遭遇したことを実感して、感極まるものがありました。

写真3

 さてSt-Vincent de Paul病院で、Dubousset 先生の絶対の信頼を得ながら、腫瘍外科を次いでいるのはMascard先生でした (写真4)。年齢は私と同年齢だと思われますが、その繊細で正確な手術をみていると、こちらとしては穴にでも入りたくなるようなぐらいでした。また彼は実に親切であり、手術の名手であるPrivate Clinique ARAGOのMissenard先生を紹介してくださいました。Missennad 先生は大腿骨遠位の骨肉腫の広範切除と腫瘍用人工関節置換術をたった1時間半でやってしまいました。しかも看護婦さんと二人で!

写真4

 St-Vincent de Paul病院にはブラジル、アルジェリア、ベトナム、チュニジア、モロッコ、ブルガリア、アルメニアなど多くの国々から留学生がやってきており、特にアルメニアから来ていたGarenさんとは親しくなり、再会を誓った。しかし、フランスの医療事情も日本同様、大変厳しく、これほど実績を残しているSt-Vincent de Paul病院でさえ、行政改革のあおりを受けて、数年以内に統廃合となるとの話でした。

 3ヶ月の研修ではありましたが、いろいろ啓発される実りの多いものでありました。フランスでは、整形外科医の関心は「手術がそつなく、うまくできる」事に主眼が置かれているように思いました。カンファレンスも術式選択に関する議論が多いようですし、レジデントも手術を覚えることに専心しているように思います。それに対して日本では疾患を全体としてとらえる事に重点を置いているように思えます。日本の整形外科医は少なからず病態、画像診断、病理に興味を持っていると思いますが、フランスの整形外科医はそれらにはそれほど興味をもっていないようでした。それはとりもなおさずフランスでは専門性が確立していることの裏返しかも知れません。

 また骨軟部腫瘍は化学療法を必要とすることが多いですが、Institute Curie にせよInstitute Gustave RoussyにせよMedical oncologistやRdiologistとの連携が実にスムーズな事に感心しました。フランス人の全般な傾向かも知れませんが、人間関係に関して肩から力が抜けており、随所に大人を感じます。私は渡仏前、打ち合わせのメールに対する返事が、なかなか来ないので大変心配していたのですが、行ってみるとすべて物事はうまくいくようになっておりました。我々日本人は何でも確認しないと気が済みませんが、フランスでは当たり前のことはいちいち確認なんかしないのだと思いました。

 また日本では挨拶をする習慣が次第に消滅しつつありますが、フランス人の会釈しながらのBonjour, Monsieur.は人間関係を円滑にする魔法の言葉のように思えてきました (写真5)。

写真5

 最後にこの様な素晴らしい経験をさせて頂くことが出来、七川会長はじめ日仏整形外科学会役員・会員の諸先生方、そして出国前、色々ご面倒をおかけした瀬本先生ありがとうございました。この場をお借りして厚くお礼申し上げます。


平成14年度 交換研修帰朝報告2

大阪医科大学整形外科
瀧川 直秀

はじめに

 2002年10月から3カ月間、日仏整形外科青年整形外科医の交換研修生としてフランスのパリに滞在し、臨床研修をさせていただきましたのでご報告させていただきます。

 私は手の外科と外傷関連の施設を希望しておりましたので、渡仏前には、Alnot 教授のHopital Bichat とSedel 教授のHopital Larboisiereの訪問が決まっておりました。あと数施設は現地で交渉して行って下さいということでしたので、パリの整形外科医の友達に紹介していただき、追加でMasquelet 教授のHopital Avicence と有名手の外科医が集まっているClinique du Square Jouvenetを主に訪問させていただく事となりました。いずれの病院もレベルの高い治療をされており、パリだけの滞在でしたが、フランス整形外科の神髄を見た気がいたします。

フランス到着

 渡仏前にはフランス語の語学学校に通う間もなく、独学でフランス語の勉強をしていましたがやはり実践ではなかなかすぐには思うように通じず初めは大変苦労しました。9月下旬、パリ到着後、最初の滞在先であるHopital Cochinはパリ市内セーヌ左岸の絶好のロケーションにありました。空港から道を聞きながら病院まで、病院に入っても宿泊する部屋にたどり着くまで、フランス語で道を聞きながらも、相手の言ってることは全く分からず、指をさしている方向に進みながら何とか宿舎にたどり着きました。誰もが行ってから必ず思うのでしょうか、もう少しフランス語をマスターしておけばよかった。

Dr. Masquelet のもとでflap surgeryを学ぶ

 宿舎のCochinから約1時間、パリ市内から少しはずれたBobignyという町にあるHopital Avicenne (写真1) にTraumaおよびFlap surgeryを中心に研修させていただきました。ここの地域は地下鉄の終点からトラムに乗っていくのですが、とてもパリとは思えない、少し危険なにおいのする所で、外傷の程度もHigh energyなものが多かったように思います。
 Dr. Masqueletは下腿骨骨折の感染性偽関節症例を含め多数のFlap手術をされておられヨーロッパ中から患者が集まってきていました。骨セメント、Flap、BMPを含めた骨移植という3 stageの手術は感染の再燃もなくすばらしい治療法であり今後の参考にしたい方法でありました。他の病院もそうですがこの病院は特に夜間の手術が多く夜間の帰り道が危ない地域と言う理由もありましたが、何度か病院に泊まらせていただきました。(写真2)

写真1 Hopital Avicenn
写真2 緊急手術
左:Dr. Didier Hannouche

多くの有名手の外科医のいるClinique du Square Jouvenet

 この病院はプライベートの病院ですが、手の患者はヨーロッパ・アフリカ中から集まり (おそらくヨーロッパNo.1の手の外科病院) Gilbert先生, Tubiana先生, Le viet 先生 (写真3), Leclercq先生, Brunelli先生をはじめ14名の手の外科医が1日約40件、週約200件の手の手術をされておりました。失礼ではあったのですが皮膚縫合を行う段階で隣の部屋に移り次の手術を見せていただくようにさせてもらい、1日20件は見学させてもらいましたので、2週間という短い期間でしたがなかなか有意義な研修をせてもらいました。それぞれのOperatorが別のことをしており、CMのOAに対して3種類ほどのTrapezectomy with ligament plasty がなされておりそれぞれいい結果を残されているようでした。CTSはopen, one portal, two portalそれぞれやっており手の外科の勉強をするのにこれほどいい病院はないと思われました。この病院のあるパリ16区は閑静な住宅街でパリの中では比較的安全な地域で、この病院の離れのような宿舎に住まわせてもらいましたが、各国から集まったResident達と楽しく過ごさせていただきました。(写真4)

写真3 左: Dr. Le viet
写真4 パーティー

2人の有名手の外科医Alnot先生、Oberlin先生のいるHopital Bichathi

 Hopital Bichat (写真5) ではDr. Alnotは残念ながら引退まじかでしたが、リウマチに関する手術をたくさんされており、Dr. Oberlinはご存知の通り、plexus surgery を週2件くらいされており、例のulnar nerveの一部をbicepsに持っていくOerlin法を行った上位型麻痺も一度拝見させていただきました。

写真5 Hopital Bichat
写真6 右: Dr. Alnot

落ち着いていろんなものを見せてもらったHopital Larboisiere (写真7)

 友人のDr. Didier Hannoucheがいる病院であったためいろんな融通を利かせてもらいここでは手の外科以外の疾患、救急、研究面での見学をさせてもらいました。

 ナビゲーションシステムを使ったTKAや、Hip surgeonのProf. SEDEL (写真8) の行うTHAを見学、救急医療や週1回は研究室に行きカンファレンスに参加し (プレゼンはみんな英語でしてくれた) BMP, Tissue engineering等の研究を見学させていただきました。ここの研究室には大阪市立大学の揚先生が研究留学されており、大変お世話になりました。この場を借りて御礼申し上げます。

写真7 Hopital Larboisiere
写真8 右: Prof. SEDEL

SOFCOT, GEM参加

 この時期ちょうどフランス整形外科学会 (SOFCOT)、フランス手の外科学会(GEM)にあたる学会が開催されており分からなくてもいいかと、思い切って参加しました。SOFCOTは友人のDidierが横で分からない単語を英訳してくれたりして、8割方理解できましたが、友人の参加しなかった、GEMの方はフランス滞在終盤と言うこともあり、フランス語の記載もだいぶ分かるようになり、presentationはなんとか理解できましたが、質問はほとんど理解できませんでした。

宿舎問題

 以前から度々問題になっているようですが、フランスの宿舎状況は (特にパリはそうなんでしょうか) 非常に難しい所があります。本来はフランスサイドが宿舎を用意することになっているようですが、私の場合は途中泊まるところがなくなり、大変苦労をしました。これはフランス側の先生が比較的、Hip, Spineを専門にされている方に偏っていることにより、これら以外の研修をするときに特に問題が生じるのかもしれません。これもフランス・・とは思っていますが、今後行かれる先生方の時にはスムーズにいって欲しいものであります。

まとめ

 3カ月という短い期間ではありましたが、いずれの病院でも歓待していただき、また丁寧な英語で説明してもらい (本来はフランス語をマスターしておくべきですが) 大変有意義な研修を行うことが出来ました。せっかくフランスに来たのでパリ以外の都市にも行きたいとも思いましたが移動の大変さ、希望の領域の病院がパリに集まっていることより、3カ月間すべてパリで過ごさせていただきました。さすが世界一の観光都市というだけあり、全く飽きることなく、帰国するときは名残惜しい気持ちでいっぱいでありました。

 そして何よりもこの留学でよかったのは、自分自身がフランス人整形外科医に負けないよう、特に友人も含めた同年代のフランス人に負けないように、頑張らねばと刺激を受けたことかもしれません。

 最後になりましたがこのようなすばらしい機会を与えていただいた日仏整形外科学会の皆様、留学中宿舎問題でぐったりしているときに、他学会で渡欧され、元気づけていただいた小野村先生、瀬本先生、藤原先生、ありがとうございました。この場をお借りして厚く御礼申し上げます。今後、日仏交換留学制度がますます実りのあるものに発展しますようにお祈りして留学報告を終わらせていただきます。

 Merci beaucoup