平成16年度 交換研修帰朝報告

関西医科大学 整形外科
和田 孝彦

 平成16年度日仏整形外科学会の交換研修制度で4月から7月初旬にかけてパリ、Cochin病院で研修を行いました。過去にこの研修制度で多くの先生方が研修されたCochin病院ですが、同病院はパリ第6大学の附属病院で、パリ市内セーヌ川の南方、第五区の南端でリュクサンブール公園から徒歩10分ほどの閑静な地域に位置します。

 私の研修した整形外科はPabillion ollierという整形外科専門棟内にあります。整形外科はサービスAとBという二つのグループから構成され、サービスAは関節外科が中心で、Courpied教授が主任教授、一方のBは腫瘍外科が中心でTommeno教授が主任教授でありました。私はCourpied教授のサービスAで研修しました。サービスAはCourpied主任教授、Matheu教授、Vastel先生、Hammadouche先生のスタッフ医師に加え、Chef de clinicと呼ばれる医師3人、インタ-ン医師が5人でした。

 インターンは様々な諸国から勤務し、私の訪問時にはチュニジア、レバノン、シリア、カナダ、ルーマニア、中国から来ていました。Cochin病院初日は、フランス語というプレッシャーから結構緊張しましたが、自己紹介を何とか終え中国からのインタ-ンにはじめ出会った瞬間は同じ民族というだけで気持ちが落ち着き、中国人に対する今までにない日中友好感を覚えた事が印象に残ります。

Cochin病院外観

 Cochin病院は国立病院で、人工関節で世界的にも有名な病院です。過去の教授はMerle d’Aubigne教授、Postel教授、Kelboull教授と有名な先生方ですが、特にKerboull教授はKerboull plateとして日本でも最近よく使われることでも有名です。同病院では年間約800件の人工股関節置換術 (再置換術も含めて) が行われ、フランスでは専門性が徹底されている関係もあり、色んなところから紹介されフランス内では最も手術症例は多いとのことでした。フランスの有名なジャーナルでも最も評価が高いようでした。

Courpied教授とともに

 私は、病院から徒歩20分程のアパートを賃貸しました。13区の閑静な地域でしたが、古い建物ばかりで、ナポレオン3世の即位とともにパリは大改革され、パリの町並みは条例で150年以上もあまりかわっていないとのことです。町並みは風情があり、どこに行っても景観はとても美しく、パリは毎日歩いていても飽きることはありませんでした。朝出勤するといつも同じ頃にCourpied教授が愛車のジャガーで、Tommeno教授は60才にしてハーレーにまたがり颯爽と出勤されました。

 フランスは整形外科の歴史も古く、国内には数多くのタイプの人工関節が存在するようですが、Cochin病院ではCharnley stemをmodifyしたケルブール人工股関節 (Charnley-Marcell Kerboull: CMK) を使用します。手術は側臥位で大転子を骨切りしアプローチします。聞いていたもののセメントマントを殆どとらない手技、そしてその成績には感嘆しました。Cochin病院では研修中の3ヶ月間、股関節に対する骨切り術は行われませんでした。聞けばCochin病院は人工股関節の専門病院であることに加え、基本的にはCourpied教授の頭に骨切り術はないとのことでした。

 Courpied教授はこの手術は手技も難しく、フランスでは成績が悪いと発言されていたように思います。ただフランス全土で骨切りが否定されているわけではないようです。人工股関節に関してはKerboull前教授の人工関節 (CMK) は20年以上で99%の生存率で安定した長期成績が報告されています。Courpied教授は手技そのものを若干modifyはしているものの数十年にわたり殆どの医師は手技を変えずに手術を行いつづけ、手技を継承しているとのことでした。また、外来では多くの患者さんの診察をみせていただきました。術後20年以上経過した患者さんも多く、その良好な術後経過や、またときにはとんでもない緩み、骨欠損例も見ることが出来ました。臼蓋部に使用されるkerboullプレートは日本でも最近よく使われるようになり、本院でも再置換術では頻繁に使われていることを説明しました。日本では京都市立病院の田中千晶先生のプレート (K-Tプレート) が流行しているであろうとコメントされました。

 Cochin病院は大学病院であり、私が研修した3ヶ月間は同じポリクリグループが実習していました。整形外科になぜそんなに長くまわるのかと聞けば3ヶ月間周期で次の科へ回るようでありました。医学部6年間で3年間は臨床実習だそうです。日本でもすこしずつ研修期間は長くなっていますが、フランス医学の臨床実習を重んじる体制にも感心しました。また、実習生がほとんど女性でしたが、現在は75が女性とのことです。男性の学生にきくと毎日がすばらしい環境で実習できるとコメントしていました。個人的にはうらやましい環境で、その学生のコメントに思わず納得でした。フランスでは高校卒業時にバカロレアという大学入学資格試験があり、合格すれば自分の希望の学部にいくことが出来るようです。しかし、医学部では1年から2年に進級する際にさらに振り分け試験があるようで、かなり合格率が低く女性の合格率のほうが高いことが要因なようです。

 Cochin病院での研修後にKerboull先生 (前教授) の手術を見学しました。Kerboull先生は週に一度private clinic (General de sports clinicという名の個人病院) で手術を行われます。最近は御自身が行われたTHAの再置換術を中心に行われているそうです。Kerboull先生は手術前は温厚に話をされていましたが、手術が始まると手術に対する厳しさに加え、その完成された手技とこだわりに感動を覚えました。

 Cochin病院で見ることのできたTHAは、セメントテクニックを含め決して新しいものではありませんが、数年前に安永先生も報告されていますが、Courpied教授曰く、“先人により20年以上のすばらしい長期成績があり、手技を変える必要性を感じない。”とのことで、まさに長い伝統とそれに伴う良好な長期成績に裏付けされた確実なテクニックの素晴らしさを実感することができました。フランスは国自体伝統、歴史を重んじる (建物、町作りなどをみても)、その中で新しいものを独創的にとりいれ、国造りをしているようですが、Cochin病院でみたフランス整形外科学も、国造りと同じような印象をうけました。この3ヶ月を通して、日本では味わうことができない人工関節の歴史、また多くの症例を拝見でき、私の整形外科医としての視野が大きく広がったと自負しております。本当に今回の研修は私にとりすばらしい機会でありました。今後もこの交換研修制度がいつまでも続けられ、益々交流が盛んになり発展していくことを祈念いたします。

 最後になりましたが、フランスでお世話になったCourpied教授はじめ多くの先生方、そしてこのようなすばらしい機会を与えてくださった日仏整形外科の役員の先生方、ならびに飯田寛和教授、そして3ヶ月間快く送りだしてくださった医局の先生方に厚く御礼申し上げます。

ベルサイユ宮殿の庭園